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マグダラのマリアと「ダ・ヴィンチ・コード」 [フレスコ画の世界]

久々の[フレスコ画の世界]です。
※ この記事、前2/3部分が消失した状態で保存されてしまいました。気を取り直して復元しています。中途半端な記事を読んで頂いた方は申し訳ありませんでしたが、こちらが本来の形です。

今回はマグダラのマリアが登場するフレスコ画、テンペラ画、油彩画のご紹介です。

この記事、実はyk2さんの「ダ・ヴィンチ・コードの嘘と本当」にコメントするつもりで書き始めたのですが、長くなりすぎたし、画像も載せたくなったので、自分の記事に仕立て直しました。
という訳で文章の意味も一部分かりにくいかも知れません。yk2さんの記事、未読の方は是非そちらから読んで戴けますと幸いです。
http://blog.so-net.ne.jp/ilsale-diary/2006-06-25

映画は未見ですが小説「ダ・ヴィンチ・コード」にはもちろんはまりました。
特に〈イエスの正当な後継者となったかも知れないマグダラのマリアを貶めたのは、カトリックの始祖ペテロらの陰謀〉説には素直に共感しました。小説「ダ・ヴィンチ・コード」の「嘘」についてはまた後ほど触れます。

yk2さんが記事の中で取り上げたジョルジュ・ド・ラ・トゥールも、とても不思議な画家ですね。

これだけの画家が1915年に再発見されるまで忘れ去られていたというのも最大の謎ですが、カラヴァッジョの影響が殆ど及ばなかったとされるフランスにあって、カラヴァッジョを表面的ではなく、深い共感をもって理解していたことが何より不思議ですし、魅かれます。

例えばこの「イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス」
Georges de La Tour (1593-1652)
St. Sebastian Tended by St. Irene.
1634-1643
Oil on canvas.
Gemaldegalerie, Berlin

こちらは、yk2さんの記事に登場するルーブルのマグダラのマリア

1630-35

yk2さんの記事へのコメントでTaekoLovesParisさんが「お滑らかしの髪型(宮中風)で、顔がほとんどわからなくて、「お雛様」と思えるほどの平安朝で印象的」と評されているメトロポリタンのマグダラのマリア。

1643
確かに「平安朝」とは言い得て妙です。

そもそも〈鏡や灯火の前でひとり悔悛するマグダラのマリア〉という構図自体、実はかなりユニーク。
個人の複雑な内面を描くという画家の近代的な意識が反映しています。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに遡る事、20数年、こちらも近代的な意識を持ったルーベンスのマグダラのマリア。

Peter Paul Rubens 1577-1640
Christ and Mary Magdalene
1618

マグダラのマリアがイエスの前に初めて登場するシーン。
ルカによる福音書では要旨「食事の席のイエスに背後より近づき、涙でイエスの足を濡らし、髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」という場面。本来なら、食卓、香油の壺なども描かれるべきですが、ルーベンスは〈振り返るイエスの足下のマグダラのマリア〉というように簡略化しています。
こういった簡略化、より正確に言うと〈「図象学的=説明的な描写」から「造形的+視覚心理学的により強い効果を得られる描写」へ〉という方向が近代絵画の特徴といえます。前出のジョルジュ・ド・ラ・トゥールのユニークな設定はそのさらに進化した形といえるでしょう。
…と書いてしまいましたが、これは初めて出会う場面ではなく後述する背景に十字架が見えるしイエスの衣装から「我に触るな」 の場面のようです。訂正します。

さらに時代を遡ってカラヴァッジョの「聖マルタとマグダラのマリア」

Caravaggio(Michelangelo Merisi) 1571-1610
Martha and Mary Magdalene
1595(1598?)
キャンバスに油彩 97,8 x 132,7 cm
デトロイト Institute of Arts

ティツィアーノの「マグダラのマリア」

Tiziano Vecellio Di Gregorio 1485-1576
1533

ルーベンスとほぼ同時代、初期バロックのドメニキーノの「マグダラのマリアの昇天」

Domenichino 1581-1641
The Assumption of Mary Magdalene into Heaven
1620
ロシア エルミタージュ美術館

やや太め、健康優良児的マグダラのマリアは良いとして、ルーベンスに比べると説明的な描写です。
空を舞う頭から直接羽の生えた不気味な生物は、智天使とも訳される上級天使ケルビム。上級と言われても…。

ドメニキーノでいきなり昇天させてしまいましたが、生前のマグダラのマリアにはもう一つ、名場面があります。
嘆き悲しむマグダラのマリアの前に復活したイエスが現れます。驚いて近寄ろうとするマグダラのマリアに、イエスが
「我に触れるな Noli me tangere(ノリ・メ・タンゲレ)」と告げる場面です。父のもとにのぼる前なので触ってはいけないという意味です。
 
14世紀初めのドッチオの「我に触れるな」

DUCCIO di Buoninsegna
Noli me tangere
1308-11
板にテンペラ 51 x 57 cm
シエナ ドゥオーモ美術館
Museo dell'Opera del Duomo, Siena

同じシーンを描いた同時代のジョットのフレスコ画

GIOTTO di Bondone 1267- 1337
Noli me tangere
1304-06
アフレスコ, 200 x 185 cm
パドヴァ スクロヴェーニ礼拝堂
Cappella Scrovegni, Padova

初期ルネサンスのベアト・アンジェリコ※のフレスコ画「我に触れるな」

Beato Angelico (;Guido di Pietro da Mugello;Fra Giovanni da Fiesole)1387-1455
Noli Me Tangere
1440-41
フィレンツェ サン・マルコ修道院美術館
※日本や英語圏ではFra Angelicoとして知られていますが、本国ではBeato Angelicoと呼ぶ方が一般的。FraもBeatoも僧に対する敬称。angelicoは「天使の」。つまり「天使のようなお坊様」の意味です。彼にはさらに2つの別名が知られています。Guido di Pietro da MugelloとFra Giovanni da Fiesole。MugelloとFiesoleはともにフィレンツェ近郊の地名。つまり「厶ジェッロのピエトロの(息子の)グイード」と「フィエーゾレのジョヴァンニ坊様」

ルネサンス後期のコレッジョ「我に触れるな」


マグダラのマリアよりもハンサムなイエスが印象的。
Correggio (; Antonio Allegri)1489-1534
Noli Me Tangere
1525
Oil on canvas
130 x 103 cm
プラド美術館

ルネサンスに続くマニエリズモ期のブロンヅィーノ。


Agnolo Bronzino(; Agnolo di Cosimo ; Agnolo Tori) 1503-1572
Noli me tangere
1561

ファッショナブルなマグダラのマリアと、デューク更家ばりに優雅なポーズのイエス。
宗教画としてはOKなのか?という疑問は別にして、これぞマニエリズモという快作です。

ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/
のArtworks by TitleにMagdaleneまたはNoli me tangereで検索すると、他にもいろいろなバリエーションを観る事が出来ます。

ところで小説「ダ・ヴィンチ・コード」に戻りますが、「シオン修道会」や「ダ・ヴィンチ・コード」のネタ本とされる「レンヌ=ル=シャトーの謎」についてのウィキペディア.wikipediaなどの解説を見ると、あの夢中になって読んだ時間は何だったのだろうという気にもさせられます※。

※ レオナルド、ニュートンらの名前が登場する「歴代総長リスト」自体がそもそも偽書であるとする歴史学の常識的な見解が示されています。

しかし「根拠の薄いうわさ話の様なレベルの論説を『事実』であるかのように信じ込ませ」たこの原作が広く受け入れられた背景には、西欧文明(とそれに帰依した日本も)の正統的(=キリスト教的)歴史観に対する漠とした疑問、負い目もあるのでは思います。

十字軍遠征は、当時の成熟した文明社会としてのアラブ側から見ると、蛮族の侵略以外の何ものでもなかった筈ですし、スペインによるインカ文明の破壊もカトリック強国の世界史的犯罪です。
イエズス会のアジア布教も、同様な世界戦略に連動していたのは明らかです。
そしてカタリ派など異端に対するジェノサイド。

一方のプロテスタントも無垢とは言えず、1527年の「ローマ劫略」では、ルター派農民兵が悪行の限りを尽くしルネサンスを壊滅させますし、メイフラワー号で新大陸へ渡った清教徒の子孫達はやがて先住民を迫害し、アフリカの民を奴隷として酷使します。
ブッシュの「十字軍」発言やイラク軍捕虜への虐待などとも重なるキリスト教の負の歴史です。

【web上での画像使用について】
名画を多数紹介している他、聖書等の主題解説も充実しているArts at Dorianという日本語サイト 
http://art.pro.tok2.com/Welcome.htm
に(社)著作権情報センター(CRIC)
http://www.cric.or.jp/index.html
に問い合わせた「画像使用と著作権」という記事が出ています。
http://art.pro.tok2.com/L/Lists/Useage.htm

それによると著作権情報センターの回答要旨は
「絵画の写真に関しては『創造性がない』との判断から、著作権は発生しない(彫像に関しては、カメラマンなどに新たな著作権が発生している場合があるので気をつけなければならない)。絵画の複製写真には著作権はない」とのことです。
壁画の場合は、建築空間と不可分の立体作品と見なすべき場合も多く、撮影のアングル、光源の設定などの撮影者の主観的意図に対して、彫像と同様の配慮が必要になるかも知れません。
いずれにせよweb上に流通している複製写真、画集等をスキャンした画像の流用に著作権上の問題は発生しないという解釈も出来るようです。もちろん画家の著作権が消滅する没後50年を経過した場合に限っての事ですが。

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あーろん

デューク更家ばり(爆)言い得て妙って感じです。
こんなに大きなイエスがいるのにマリアの初々しいこと(笑)
マリアの足の組み方も不思議です。
by あーろん (2006-07-05 12:55) 

いっぷく

絵画の画像の流用に著作権上の問題は発生しないという解釈で毎回絵画の解説をしているブログを読んでいたことありますが、やはりただスキャンして紹介をしているだけで上記認識に立っていて解説していました。
絵画への関心が深まりそれはいいことだと思いました。
by いっぷく (2006-07-05 14:31) 

匁

福井洋一さん
こんにちは。
いつも勉強させてもらっています。
「絵画の複製写真には著作権はない」
とのことですが、法律上はそうでしょうが、実際にはどうでしょうかね?
テレビや雑誌で展覧会のニュース記事を見て観にいって
照明や大きさで上手く撮影されているため あれが?これなのか?ほんとに?
とあまりにもの違いでがっかりすることがありますね。
著作権には充分注意したいです。
by (2006-07-05 14:48) 

フレスコ画はきれいですね。
17世紀にかかれたものとは思われない。修復はしているでしょうが古さを感じません。
著作権についてはいろいろあるんだ。私も注意をします。
by (2006-07-05 21:28) 

yk2

洋一さん、こんばんは。
こんな立派な内容でTBして下さって感激です。

僕は本当は神話、宗教絵画ってどうにも政治的もしくは金権的な匂いがするのであまり得意ではなかったのです。だってピュアな信仰心から描かれたものか、教会の作為的なものかって、絵を見ただけでは分からないでしょ?。こんなにも素晴らしいラ・トゥールだって、お金の為に描かれた絵だし。でもね、ダ・ヴィンチ・コードのお陰で、そんな宗教画だって知らないよりも知ってた方が絶対に面白い!って思える様になりました。

それでも「レンヌ=ル=シャトーの謎」がでっち上げなのにはガッカリですが・・・。

著作権の問題は難しいですよね。権利保護は死後50年って云うけど、海外は70年って場合もあるそう?なので、例えば1954年に亡くなったマティスの絵なんて画像を使っても良いものなのかなぁ~なんて具合に悩みます。万国法は読んだことないし。まぁ、疑わしきは使わない、ってスタンスで居ればいいのかな。
by yk2 (2006-07-06 00:04) 

TaekoLovesParis

どの絵も大きく載せてくださっているので、迫力と醍醐味がありますね。
それも、「マリア」ばかり集めてきてくださっている。
DIAの「マルタとマリア」は、デトロイトで見てとても印象に残っている作品です。
マルタの「私は一生懸命働いているのに、あなたは!」という聖書のお話
どおりのとがめるようなキツイ目つきが気になりました。そしてマリアは
「ごめんなさい」と弁解しているようす。私はこのマリアはベタニア村のマリア
で、マグダラじゃないと思っていたから、タイトルのマグダラに「これでいいの
?」と気になって覚えているのです。
カラバッジョの作品は日本で見る機会が少ないけれど、ヨーロッパや
アメリカでは大きな美術館に行くと、必ずありますね。

「私に触れるな」のせりふの件、なるほど~でした。これがわかると、すごく
どの絵も身近に感じます。私もデューク更科のたとえはうまい!と思って
拍手でした。あと、<マグダラのマリアよりもハンサムなイエスが印象的>
も、うふふ、でした。
by TaekoLovesParis (2006-07-06 00:58) 

ぱふ

勉強になりました! デューク更家walking のイエス、すてきです★

マグダラのマリアのことは「画家が豊満なブロンド美女を
描きたかったわけね」な~んて思っていた私ですが
エルミタージュ展でティツィアーノの作品を観て、“改心”しました。
載せてくださった作品とほぼ同じ構図でしたが、乳房は衣服に
覆われていて、サービスショットではなく、天を仰ぐ表情から、本当に
深い感情が伝わってきたのです。絵の前でもらい泣きしそうでした。

こうやって一堂に会させてみると、いろいろ興味深いですね。
ドゥッチョやジョットの時代には金髪を目立たせてはいなかった、とか
初めて気づきました。
by ぱふ (2006-07-06 06:58) 

yoku

復活したキリストをはじめて目撃したとされる
マグダラのマリヤ(マタイ伝)の絵画がこんなに多く
存在していたことは、知りませんでした。
それに、ラ・トゥールの絵画で「イレーヌに介抱される
聖セヴァティアヌス」もはじめてです。
plotさんならではの説明にひとつひとつうなずかされます。
by yoku (2006-07-07 08:58) 

mikachan

とても興味深く読ませていただきました。数ある教会や美術館で宗教画を見てきましたが、もう宗教画には興味が無くなっていました。このように分かりやすく解説されていたらもっと楽しんで見られたと思います。コレッジョのイエスは若くてハンサムですね♪
by mikachan (2006-07-07 17:26) 

plot

Bijouxさん、mazdaさん、なりたて建築家さん、minazukiさん、panda_pandaさん、鈴木浩司さん、ミカチさん、tonpooさん、yokuさん、あやっぴぃさん、ぱふさん、toraneko-toraさん、yk2さん、TaekoLovesParisさん、nekoさん、tigerkitaさん、いっぷくさん、あーろんさん、コメントやnice!ありがとうございました。

教会の祭壇画や壁画など、いわゆる宗教画はキリスト教に馴染みの薄い日本人にとって苦手な種目の一つです。
しかし絵画の魅力は「主題そのもの」にあるのではなく「主題を越えた何か」にある筈です。モデルが美人なら美しい絵になるとは限らないし、風景についても同じ事が言えます。「何が描かれているか」も大切ですが「いかに描かれているか」がその絵の質を決めるのかも知れません。そう考えるとキリスト教的な知識、先入観なしで「いかに描かれているか」に真っ直ぐ迫れる日本人は、宗教画の理想的な鑑賞者と言える?でもその場合、美しき誤解や残念な誤解という落とし穴もあります。
先入観をもって絵を鑑賞することの是非はおいて、宗教的な時代背景と美術史の知識が、画家がどのような目的意識を持って「何をいかに描いたのか」という理解を深めることは間違いないと思います。もちろん理解と感動はまた別のものですが。
僕の苦手な種目の最たるものはクラシック音楽でした。R.ストーンズ〜K.クリムゾン〜C.ミンガス〜バッハと辿ってようやく楽しく聞けるようになりました。それでもまだオペラにはどうつき合って良いのやらという有り様。いつのまにか途中で眠ることもなく楽しめるようになったのは、美術を通じてヨーロッパの歴史や文化に親近感をもったからかも知れません。この場合は「知識」云々というより「慣れ」の問題かも知れませんね。まず「慣れ」て興味を持ち始めてから勉強…というのがまっとうな方向性かも。というわけでこれからも時々「宗教画」も含めてご紹介する予定です。お付き合い頂けると嬉しいです。
by plot (2006-07-18 06:25) 

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