SSブログ

ホックニー「秘密の知識」 [アトリエから]


デイヴィッド・ホックニー 著
木下 哲夫 訳
「秘密の知識 -巨匠も用いた知られざる技術の解明-」
 青幻舎
Secret Knowledge , David Hockney
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861520835
¥ 10,500 (税込)

ホックニーによれば
「15世紀初め以降、西欧の画家の多くが光学機器-鏡かレンズ、あるいはその組み合わせ-を用いて、実物の映像を得た事。そして画家のなかにこうした映像を素描や油彩画の制作に用いた者もあり、世界を描写するこの新しい方法-新しい物の見方-はまもなく世の中に広まった」という仮説を提起する本です。

ドミニク・アングル(Jean Auguste Dominique Ingres)は19世紀、フランス新古典主義最大の巨匠で、アカデミズムの基礎を築いたデッサンの名手。そのアングルが素描を描く時に、19世紀初頭の発明である「カメラ・ルシーダ」という道具を利用していたのでは?という仮説から話を始めます。

カメラ・ルシーダ(カメラ・ルチーダ Camera Lucida=明るい部屋)とは、この記事の冒頭の表紙カバーのホックニーの胸の前、細い金属のアームで支えられた小型の光学装置のことです。

プリズムを用いたその仕組みは、以下のウィキペディア(Wikipedia)のページに分かりやすい図で示されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Camera_lucida

ブッシュ大統領や細川元首相やゴーン社長が使って話題になったプロンプター=聴衆と演者の間に置かれたハーフミラーに原稿を写し出す装置=に似ていなくもありません。

プロンプターは聴衆から視線を移さず、原稿を読める装置ですが、カメラ・ルチーダでは、白い紙の上にモデルの画像が重なって見えるので、その画像を紙にトレースすればよいというわけです。

美術史上の巨匠達が写真技術(やその前進の光学装置)を利用して絵を描いていたという「疑惑」は、実はけっして耳新しい話題ではありません。
「フェルメールはカメラ・オブスクラ※を利用していた」という説はかなり以前から存在しています。

正統的な美術史学者には受け入れがたい説かも知れませんが「フェルメールがカメラ・オブスクラを利用していなかった」という説よりは、はるかに説得力があると僕は思います。

※カメラ・オブスクラ Camera Obscura (イタリア語ではカメラ・オスクラ camera oscura=暗い部屋)。19世紀の感光材による写真術の発明以前に存在していた、始めは針穴、後に凸レンズを用いる画像を投影する原理、または装置をさす言葉。針穴による画像投影の原理は紀元前から知られていましたが、凸レンズを用いる実用的な装置が普及するのは17世紀頃と言われています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Camera_obscura

ところでホックニーの仮説はここから大胆に飛躍します。17世紀のフェルメールよりも200年も遡る1400年代の始めの一時期に、すでに光学的技術が絵画に利用されていた!というのです。
これは突拍子もない仮説を豊富な図版で証明していく痛快な本です。正統的な美術史の立場からは無視される運命かも知れませんが、僕には大変刺激的で楽しい本でした。

このホックニーの仮説については、いろいろな画家の作例をつかって、もっと考察したいと思っていますが、それはまた後ほど。

デイヴィッド・ホックニーは20世紀後半の最も才能豊かな画家のひとりです。
作品の画像はいろいろなサイトでご覧になれます。例えば…。

davidhockney.com
http://www.davidhockney.com/
WebMuseume,Paris
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/hockney/
ARTCYCLOPEDIA;David Hockney
http://www.artcyclopedia.com/artists/hockney_david.html


nice!(20)  コメント(9)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 20

コメント 9

kenjione.

誰の言葉だったか忘れたけれど、その時代の画家はその時代の道具、画材を使って描くべきだ・・と言っていた、あ、なかなか良い言葉だと思った、もちろん過去の画材を研究してその良さも取り入れて、その上でのこの時代、現代の豊富な工学的道具も含め、電子頭脳(笑)、画材も多いに利用すべしでしょう、ってコトだと思うが・・
ホックニー「秘密の知識」なんともそそられるタイトルだ・・読んでみようっと!、素晴らしい情報をありがとう!
by kenjione. (2006-10-30 17:58) 

画像を利用した美術。同じことをしても誰でも、作品は描けないような気がします。と言っても素人の私の考えですが・・・
道具を活用し、それを生かす技術が必要。それができて作品が誕生するのではないかと考えます。ちょっと一歩的な考え方かも知れません_(^^;)ゞ
「秘密の知識 -巨匠も用いた知られざる技術の解明-」は購入は難しいですが立ち読みしたいと思います。
by (2006-10-30 23:37) 

ホックニー好きです。
ウチにも1枚ポスターがあります。
by (2006-10-31 10:50) 

chi-ran

わ~。。そういう見方でゆくと 絵と写真はやはり同じビジョンなのでしょうか。
たまに絵画風に写真をアレンジしてみたくなりますけどw 面白いお話でした。。
ありがとうございます~。
by chi-ran (2006-10-31 15:54) 

yk2

ダ・ヴィンチ聖骸布制作説もたしか、写真技術の応用って話から発生してるんですよね。面白そうだし、読んでみたいけど専門的で難しそうだし、とにかく値段がたか~い!(苦笑)。

フェルメールがカメラ・オブスクラを利用していたと云うのは有力であっても、あくまで仮説なんですか?。「真珠の耳飾りの少女」でも当たり前に出て来たのでそれが当然の事実だと思ってました。でもあの映画だと、カメラ・オブスクラで見えていた画像が、どうキャンバスに反映されたのか、今ひとつよく分からなかったんですよねぇ・・・。
by yk2 (2006-10-31 23:57) 

TaekoLovesParis

ホックニーはPOPの時代、アンディ・ウォーホールと双璧で人気がありましたね。作品を作るだけでなく、こういう研究もしているんですね。
写真の利用は、何としてもよい作品を残したい、似ている肖像画を描きたいと
いう思いから生まれたものでしょうね。フェルメールの「真珠の、、」の映画の
時もそう思って見ていました。
今も、写生旅行に行き、写真をパチパチ撮り、後で写真を見ながら作品を仕上げるという手法の画家、いますよね。デジカメだと大きく伸ばせて便利ともききましたが。
本の値段が高いのは、写真がたくさんあるからでしょうか?
by TaekoLovesParis (2006-11-01 22:57) 

plot

kenjioneさん、
ホックニーやクレモニーニに興奮していた画学生時代が懐かしいね。ホックニーの本の後半では〈光学映像派〉の雄カラバッジョの「イエスの埋葬」と、〈素描派〉のルーベンスによるその「模写」を比較対照して、後者の優位性を認めています。それには共感。

nekoさん、
「同じことをしても誰でも、作品は描けない」おっしゃる通りだと思います。ホックニーも何度もその点を強調しています。

manzoさん、
ホックニー作品は、センスが良くてユーモアの感覚もありますね。画家の立場で見ると、現代には稀な非凡なテクニックの持ち主という事が良く分かります。

ちえさん、
ちえさんの写真もいつもセンス抜群で楽しませて頂いてます。
OTOKOさんとのコラボの“ゆらぎ”も面白いですね。ホックニーも多数の視点の写真を1枚の巨大な画面にコラージュした作品などで写真家にも影響を与えています。
by plot (2006-11-05 02:09) 

plot

yk2さん、
レオナルドが実際にトリノの聖骸布にかかわった説は眉唾?でも光学的映像を定着する技術に関心を持った可能性はありそうですね。レオナルドなら何らかの感光材を発見していたかも知れません。
フェルメールがカメラ・オブスクラを利用していたこと、すんなり認めたがらない学者先生も多いです。絵を描く立場から見るとフェルメールに「光学的映像の目撃」が無いと考える方がはるかに不自然ですが。
「真珠の耳飾りの少女」結局まだ未見なのですが「カメラ・オブスクラの画像をキャンバスに反映させる」テクニックについては定説は無いようです。
ホックニーの本は、高度に専門的でも難しくもないのだけど、値段は確かに高過ぎ!買うまでに相当、悩みました。世界11か国発売ってことなので「フィレンツェで」と一瞬思ったのだけど(ユーロ高で定価は大差がないけれど半年ぐらいたつと半額で流れてくる本屋がある)、原著が英語の本をイタリア語で読むのも面倒だし、とにかく早く読みたかったので買ってしまいました。自分の以前からの問題意識と重なっていたし、つまり自分でも将来書きたかった内容だったので、ホックニーがどこまで実際に踏み込んでいるか確かめたかったのです。
by plot (2006-11-05 02:10) 

plot

Taekoさん、
ホックニーは、とても知的な作家。
私小説的、表現主義的かつユーモラスな作風でデビュー、その後フォトリアリズム風なイメージを使いながらポップで軽妙なヒューマンタッチの作風で一世を風靡、視点を変えながらポラロイドカメラで撮った写真をつないでキュビスムの原理を示すようなコラージュ作品、和紙を漉いて作った作品、キュビスム的作風…。
目まぐるしくスタイルを変えながら、そのどれもユニークというところは、yk2さんとTaekoさんのblogで話題になった若冲にも通じるものがありますね。

「光学的な映像体験こそ、現代の目で見て写実的と感じる絵画の成立に不可欠の要素だったのではないか?」というのがホックニーが言いたい事のような気がします。
古代ローマ時代のエジプトの写実的な作品にまで、控えめにですが光学的な映像体験の存在を示唆しています。
そういう実験的、求道的な視覚体験から比べると、現代の画家の写真の利用は、安直なご都合主義の範疇を越えるものではないという気もします。素描が絶対だと原理主義的に主張するつもりはありませんが。

本にはたくさんの絵画の大判写真がのっていますし、部数が期待できる本ではないので高いのもやむを得ないのは理解できますが、それにしてもやっぱり高過ぎる。出版社には廉価版の登場を期待したいですね。
by plot (2006-11-05 02:16) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。