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「ウルスラ」のこと [アトリエから]

フィレンツェです。
戻って早々、急ぎの仕事が飛び込んできたり…で忙しさは相変わらず、でもやっぱりほっとするこの頃です。
写実画壇展から搬出した「ウルスラの船出」を、イタリア出発の前々日にレストラン・ヴィノリオに設置しました。

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(撮影する時間が無かったので合成写真です)

ところで「ウルスラって何?地名ですか?」というご質問を頂きました。
人名なのですが、確かにあまり馴染の無い名前かも知れません。

2007年の冬、銀座のイタリアンレストラン「ヴィノリオ」に壁画を描かせて頂くことが決まったのがそもそもの始まり。
その時点では、まだ何を描くか決まっていませんでした。
「ウルスラの船出」という題名を決めたのもずっと後になってからです。

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設置前のヴィノリオの壁

住み慣れたトスカーナの小さな家からフィレンツェ中心部の古い館の最上階へ引越したのが2007年の暮れ。
その片づけも済んだ2008年の1月、直径170cm程の10角形の絵を描き始めました。
「星の街」の周囲に6人の人物を配した絵です。
その絵は4月の写実画壇展に出品する予定でした。※

ヴィノリオの壁画はそれとは別に描くつもりだったのです。
とは言うものの、壁画の構想はなかなか決まりません。
ヴィノリオVINORIOという店名は、VINO+NORIO=ワイン+ノリオ(グランシェフの斎藤ノリオさん)。
ワインがもう一つの主役であるレストラン…なのでワインが注がれたグラスを画面の真ん中に描く事だけは、最初から決めていました。

Enoteca NORIO/VINORIO↓

※「星の街」についてはこちらにまとめてあります↓

そして2月の初め、カーニヴァルのヴェネツィアで再会したカルパッチョが、インスピレーションを与えてくれました。※※
壁画の構想をなかなか決められなかったのは〈注文で描く絵〉と〈自分自身の絵〉が分裂していたからです。
前者がヴィノリオの壁画、後者が写実画壇展で発表する絵という訳です。
カルパッチョの壁画は〈注文で描いた、しかし彼自身の絵〉でした。
その連作壁画の美しさと強さ、他の誰のものでも無い強い個性に惹きつけられました。

※※カルパッチョについて書いた記事↓

左はヴェネツィアから帰って描いたデッサン。
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例によって特定のモデルはいません。
まだウルスラでもなくてワインの似合いそうな女性というイメージ。
この絵の為に描いたデッサンはこれ1枚だけ。
この先は試行錯誤しながら即興的に進めていきました。

こちらは完成作の部分。
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10角形の星の絵は途中で止めて、
180×200cmの綿布に赤茶と緑土と白を混ぜた地塗りをしました。
このヴィノリオの壁画の為に始めた絵を写実画壇展にも出品する事に決めました。

描き始め。(早朝の光で撮ったので暗い写真です)
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L字型のバルコニーに人物を配置するのは始めから決めていました。
欄干の上のワイングラスも。
この時点では、二人がいるバルコニーは地中海をクルーズする船上という設定で、背景はヴァレッタ港の砦。※※※。
左にはもう一艘、大きな船。何度も描いているサヴォイア伯号です。※※※※
女性にもトレンチコートを着せる予定でした。
彼女が少しバーグマン風?になったので、ハンフリー・ボガートのような男性が欲しくなって描いたところ。

※※※ヴァレッタ港(マルタ島)は、前の記事の大村光氏との二人展の小品で描いています↓
ttp://firenze.blog.so-net.ne.jp/2008-04-06
この時の旅行はとても楽しかったのでいつかこのblogでもご紹介しますね。

※※※※サヴォイア伯号を描いた作品、制作順に↓



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男性を消してしまいます。中央の建物もヴァレッタ港の砦からフィレンツェの我が家に変更。※※※※※

※※※※※我が家がある建物↓去年のクリスマスの夜。
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男性が中景に復活。女性のポーズを変更。
二人がいる場所を船上から地上の館のバルコニーに変更。



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女性に服を着せました。ポーズも修正。


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ドレスの青、欄干の陰影など。


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路上の車や人影などを描き進めています。
題名を決めたのはこの頃。

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男性の前に子犬を描きます。


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子犬を描き加えたのは、柱の陰に(子犬の飼い主である)人物がいて、男性と談笑しているという設定にしたかったからです。

もちろん犬に話しかけているように見て頂いても良いのですけれど。

この子犬だけが、画面の中でこちらを見つめています。

この男性にも特定のモデルはいませんが、描き進めていくうちに、ある友人のイメージが重なりました。


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完成。

さて、なぜ「ウルスラの船出」なのかですが…

ほぼ同じ題名のクロード・ロランの作品。
もちろんこちらのほうが「本家」です。
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クロード・ロラン(Claude Lorrain, 1600-1682)
「聖ウルスラの船出」(聖ウルスラの乗船と港風景)
Port Scene with the Embarkation of St Ursula
1641
Oil on canvas, 113 x 149 cm
National Gallery, London

ウルスラのエピソードよりも風景に主眼が置かれているようにも見える絵です。
聖女の物語がモチーフではありますが〈宗教画〉という範疇には収まり難い絵と言えるかも知れません。


ネーデルランドの画家ハンス・メムリンクのより古い時代の作品、

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聖ウルスラ聖遺物箱 1489
St Ursula Shrine
Gilded and painted wood, 87 x 33 x 91 cm
Memlingmuseum, Sint-Janshospitaal, Bruges

1617032
同上;聖処女たちの殉教

St Ursula Shrine: Martyrdom
1489
Oil on panel, 35 x 25,3 cm
Memlingmuseum, Sint-Janshospitaal, Bruges


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同上;聖ウルスラの殉教

St Ursula Shrine: Martyrdom
1489
Oil on panel, 35 x 25,3 cm
Memlingmuseum, Sint-Janshospitaal, Bruges

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同上;聖ウルスラと聖処女

St Ursula Shrine: St Ursula anad the Holy Virgins
1489
Wood, 91,5 x 41,5 cm
Memlingmuseum, Sint-Janshospitaal, Bruges


ヴィットーレ・カルパッチョにも彼の代表作「聖ウルスラ伝」の連作があります。

その一つ
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「オルソラとエレオの出会いと、巡礼への旅立ち」
le Storie di Sant'Orsola(1490-96)/Vittore CARPACCIO
Commiato di Sant'Orsola ed Ereo e partenza dei pellegrini
1495
Tempera on canvas, 280 x 611 cm
Gallerie dell'Accademia, Venezia

上の絵の右側
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「聖ウルスラ伝」の中からウルスラらしき人物を抜き出してみます。
上の部分の左端
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婚約者エレオEreo(=アイテリウスAetherius)とオルソラ(=ウルスラ)
別の伝承ではウルスラの未来の夫の名はコナン・メリアドクConan Meriadoc

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カルパッチョ「聖ウルスラ伝」の別の絵の部分
この人はウルスラでなく侍女かも知れません。
でもカルパッチョの描いた最も美しい人だと思います。


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聖ウルスラ伝「ウルスラの夢」

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上の絵の部分


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こちらも「聖ウルスラ伝」の別の絵の部分
ローマに到着して法皇に拝謁するウルスラ


聖ウルスラ(Sancta Ursula=ラテン語、英語ではアースラSaint Ursula、イタリア語ではオルソラ、サントルソラSant'Orsola、 ?-383AD? )は、4世紀のキリスト教の聖女です。
ブリタニアの王女ですが、彼女の伝説は9世紀に彼女が殉教したとされるドイツのケルンで発祥し、ケルンには彼女に捧げられた聖ウルスラ教会があります。

聖ウルスラの伝説がヨーロッパ中に広く伝わったのは13世紀の書物「黄金伝説Legenda Aurea」(1267?)によってです。
著者はジェノヴァのドミニコ会大司教ヤコポ・ダ・ヴァラジーネJacopo da Varagine(またはヤコブス・デ・ウォラギネJacobus de Voragine 1230?-1298)。キリスト教の殉教者、聖人の列伝です。


以下、この本に描かれるウルスラの物語の要約です…

イングランドの異教徒の王子アイテリウスAetheriusは、ブレトン人(ブリタニア人、ブリテン島のローマ人の子孫)の王女ウルスラに求婚します。
受諾の条件として彼女は、アイテリウスの改宗と、婚礼の前に10人の従者、11,000人の処女の侍女たちとともにローマへ巡礼することを求めます。
ウルスラとアイテリウスは従者たちと共に巡礼の旅に出発します。
無事ローマに到着して法皇に拝謁しますが、その帰り道、ケルンの近郊で11,000人の乙女たちもろとも、異教徒フン族の襲撃を受け殉教してしまうのです。

彼女は少女たちの守護聖人であり、各地に聖ウルスラの名を冠した女子修道院や学校があります。
ケルンの守護聖人でもあります。
クリストファー・コロンブスが名付けたヴァージン諸島は殉教した聖処女たちに捧げられたもの。
ギョーム・アポリネール Guillaume Apollinaire(1880-1918)の奇妙な艶笑譚(ルイ・アラゴンは絶賛しています)のタイトル「一万一千本の鞭Les Onze Mille Verges」1907は、この伝説の11,00人の処女Viergeと、鞭Vergesとの言葉遊び。

10月21日は聖ウルスラの祝日でしたが、1969年にパウロ6世によって聖名祝日から除外されてしまいます。聖ウルスラの実在の根拠が希薄であるというのがその理由です。

画家達に霊感を与えた「11,000人の聖処女の殉教」も、ウルスラとともに殉教した一人の侍女の名「ウンデキミリアUndecimilliaまたはキミリアXimillia」をundecimillia;XI millia(イタリア語、ラテン語で11,000)と読み違えたことに因るなどの説があります。

ところで、なぜこの絵に「ウルスラの船出」という題名を付けたのかですが…

〈船と女性〉というモチーフが、この古くからあるテーマと重なる事。
インスピレーションを与えてくれたカルパッチョの代表作「聖ウルスラ伝」にオマージュを捧げたかったのもこの題名を選んだ理由の一つです。


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コメント 8

TaekoLovesParis

とても読み応えがありました。いつも洋一さんのブログで学ばせていただいております。ウルスラって聖女の名前だったんですね。しかも歴史的に多くの人たちに影響を与えてきた伝説の聖女。カルパッチョのウルスラ(または侍女)に比して洋一さんのウルスラはバーグマン風よりもっと現代的。知的でお仕事ができそうなすてきな人。
クロード・ロランの風景画には、港にパンテオン風の円柱の建物があるのが他でもあって、不思議な光景だなぁと思っていましたが、これにヒントを得ての洋一さんの港なんですね。時が不明で架空の世界感がかもし出されて浸れます。
早々にノリーオレストランに行って、絵を見てみたいです。
by TaekoLovesParis (2008-04-15 22:29) 

てんとうむし

じっくり拝読させていただきました。
作品の世界をいろいろ想像しながら鑑賞していたので、いろいろなことがわかって、ヴィノリオへ伺うのがさらに楽しみになりました。
中央の窓辺に猫がいる建物はご自宅だったのですね☆

by てんとうむし (2008-04-15 23:16) 

neko

解説が詳細なので作品の背景がよくわかりました。それに作品が出来上がる過程もわかり、いろいろな想像ができます。
朝から楽しくなります~

by neko (2008-04-16 06:06) 

Inatimy

ケルンの聖ウルスラ教会すぐそばのホテルに泊まったことがあります。
こんな話があったんですね。
船と女性・・・そういえば、船の守護神も女性ですね。
by Inatimy (2008-04-16 07:25) 

旅爺さん

じっくり見ていると絵の奥ってあまりにも深そうで底が見えませんね。
by 旅爺さん (2008-04-17 09:35) 

ぴい

素敵な絵ですね!
それにしても、まず裸を画いてからその上で服を描くのですね。
当たり前なのかしら?
いろいろ勉強になります。^^
by ぴい (2008-04-17 12:44) 

himika

ウルスラってそういう意味だったんですね。
そういう壮大な歴史に根ざしたテーマだったと知り、
作品の理解が深まりました。
by himika (2008-04-19 15:33) 

ぱふ

バルコニーのカタチも、港の前の街角も、どこか現実離れしているようで
夢の中の一場面のようです。
by ぱふ (2008-05-21 09:41) 

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