峰村リツ子展 [Gattaiola Dolci]
ポエジーとユーモア
針生一郎
(美術評論家 和光大学教授)
昨年11月はじめ、須之内徹さんの一周忌に、キッドアイラック・コレクション・ギャラリーでもよおされた「偲ぶ会」にいった。もっとも、当日わたしはいわき市立美術館で講演があって、5時には日立発の特急に乗ったのだが、会場に着いたのは8時ごろだった。2階の階段踊り場近くに立ったままスピーチを聞いていると、一人の老婦人から声をかけられ、「峰村リツ子です」と名のられた。峰村さんとはじめて会ったのは自由美術展のころだから、30年ぶりというところだろう。終わってから階下の画廊に陳列された須之内徹の肖像画をみると、峰村リツ子の作品がいちばん味があっておもしろい気がした。
その1ヶ月後、美術ジャーナル画廊の針生道昌さんの案内で、鷺宮に近い峰村さんの家を訪問した。彼女自身の話によると、峰村リツ子は新潟市の裕福な味噌屋の娘で、女学校時代のちに牧逸馬夫人になった英語教師の影響で、環境に反抗して自立した女性に憧れ、昭和のはじめ東京に出て太平洋研究所で絵を学び、ついで野口弥太郎と里見勝蔵に師事し、二科展と一九三○年協会展にあいついで入選し、独立美術展創立と同時に同展に出品した。戦後は自由美術会員となったが、その後同会をやめて無所属である。御主人は無くなり、娘三人のうち二人がアメリカにいて、アメリカにゆくたびにアート・スチューデント・リーグで人体クロッキー教室に通い、またときに娘さんとつれだってヨーロッパを旅行する。いまがいちばん自由で、充実した時期ともみえる。
アトリエで多くの作品を見せてもらったが、大部分が人物で、風景と静物が少しある。力づよくプリミティブな筆致による、デフォルマションを中心とした表現主義的な作風だから、人物画がいちばんむいているのだろう。娘さんの別れた御主人という髭男と、イーゼルにかけて制作中らしい孫娘の顔が、アトリエの中で異彩を放っていた。横たわる裸婦のふしぎにねじれた体躯も、かなり迫力がある。執拗に対象に迫りながら、どこかで対象をつき放して単純な線と明快な色彩のリズムに還元するから、どの作品にもポエジーとユーモアがある。こういう飄々としてさわやかな作風のまま、峰村リツ子はいま円熟の時期にさしかかっているらしい。わたしはひたすら彼女の加餐を祈るばかりだ。
(1989年 美術ジャーナル画廊 峰村リツ子個展案内より)
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